朝の話|榎本神父

2025年11月04日

美しさに気付く

先日、出張先で「誰も見る人のいない場所で咲く花は“美しい”と言えるか?」という講話をしてきました。花の姿そのものは変わらなくても、その美しさは「美しいと感じる心」があって初めて意味を持ちます。花の美しさには、見る人…つまり、あなたの協力が必要なのです。花のそばに立ち、その姿に気付き、「ああ、美しい」と感じることで、花は初めて「美しく」なります。


これは、人間にも同じことが言えます。誰かの優しさや温かさは、それに気付いてくれる誰かがいてこそ輝きます。神さまの傑作である人間の素晴らしさも、誰か(あるいはあなたが)それを見出すことで初めて形になる。つまり、あなたは神の協力者として、この世界に美しさを形づくる存在なのです。


カトリックでは11月を「死者の月」と定め、亡くなった人々に思いを馳せるよう勧めています。それは、死者と生者がつながり続けるという信仰に基づくものです。同時に、私たちが互いの良さに気付き合うには、どちらかの死という「締め切り」があることも思い起こさせます。


そう考えると、いつも宿題を締め切り間際まで延ばしてしまう私は、少し焦りを感じます。周囲の人々の、そしてあなたの素晴らしさに、まだ十分に気付けていない気がするからです。それでも、できる限りあなたの良さを見出し続けていきたい…そう思っています。


自分にとって「心から大切に思える人」がどれだけいるか。実はそれこそが、「幸せであること」のひとつの条件なのかもしれません。

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