2025年06月19日
「お金教」の奴隷として生きている私たち
現代人はお金を信用して生きています。お金にこだわるという独特な信仰を抱きます。お金を崇拝して、追い求める人が多いです。まるで「お金教」です。ほとんどの人が特定の宗教を信じていないと述べる日本では、しかし「お金教」を信じている人が意外と多いです。お金さえあれば、自分の望みが何でもかなう、という性急な幻想をほとんどの人が抱きます。それゆえ、現代人は「お金教」の奴隷として生きています。逃げるチャンスがあるのに、ますます好んで奴隷でいようとする人が多いです。お金がないと暮らせないし、自分の自由が得られないからです。「あなた方は神と富という二人の主人に同時に仕えることはできない」(マタイ6・24)というイエス・キリストによる皮肉は妙に納得できます。
ジョルジョ・アガンベンというイタリアの哲学者がおり、様々な学問を横断して自由自在に使いこなす天才的な閃きを備えた著作活動を続けています。彼の評論に「宗教としての資本主義」という文章があります(岡田温司訳『創造とアナーキー 資本主義宗教の時代における作品』月曜社、2022年)。興味深いので引用します。
「……信仰のみで、つまりは信用=融資によって生きながらえているのは企業だけではない。銀行からの融資にますます依存しつつある個人や家庭もまた、企業と同様に、普遍的なものとなった未来への絶えざる信仰のうちに、宗教的な仕方で囚われている。ゆえに銀行とは、資本主義宗教における唯一の秘蹟たる債権―債務を、信者たちに授ける教皇である。なぜひとはこれほど頑迷に、資本主義への信仰を保ちつづけるのか、とわたしは折に触れて問うてきた。というのも、もし人々が信用への信仰を止め、信用=融資で生きてゆくのを終わらせれば、資本主義がすぐさま崩壊するのは明らかだからだ」(159-160頁)。
人間は誰かに頼らないと生きてゆけません。究極的には、お金に頼るのか、神に頼るのか、人間は一瞬一瞬、二者択一を迫られて生きています。私は神に頼ってお金を適切に使えばよいと考えます。生き方の基礎を神にして、その信念をうまく活かすためにお金を利用するわけです。
皆さんは、どのように考えますか?