命名:サレジアン
日常の何気ないものでも、呼び方を変えるだけでまるで違うもの感じることがあります。例えば2013年発売のカップカレーライスは、「カレーメシ」としてリニューアルした途端、売り上げが倍増しました。名前を付け直すと、それまでとは違った視点や意義を人々に提供したり、受け手の理解を助けたりします。
他にも、近江商人の知恵「三方良し」は、企業の社会的責任=CSRと再命名され、より国際的な理論として語られています。また、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という諺は、ダニング・クルーガー効果という心理学用語を冠して、学術的な裏付けを得ています。
このような「新たな視点からの命名」を「さも新発見のように扱うのは如何なものか」と、抵抗感を示す人もいるようですが、聖書の中では、神ご自身がこの手法を用いておられます。神はモーセに向かって、ご自分の名を「わたしはある」と告げ、その本質を表わしました。また、ある時にはご自分を「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と呼び、民との契約が引き継がれていくこと、ご自身が「生きている者の神」であるということを示されました。このように、呼び名は単なる称号ではなく、そのものの本質、召命、使命、他者との関係性をも表わしているのです。
さて、みなさんは「サレジアン」と呼ばれています。それは単に「サレジオに属する者」というだけではなく、「サレジアンとしての召命を持つ者=サレジオ精神を生きる者」であることを意味しています。ですから、サレジアンとして誇りをもち、胸を張りましょう。サレジオの名に恥じないように。
