朝の話|鳥越校長

2026年09月01日

スパイダーマン×京都大学(始業式の話)

 夏休みの個人的な学びを二つばかり紹介しましょう。

  一つ目は”SPIDER-MAN Brand New Day”。映画スパイダーマンはコミックの実写版で、今公開されている最新作Brand New Day はその4作目。まずはストーリーのダイジェストを紹介します。

 主人公ピーター・パーカーは、クモに噛まれたことで、糸を出したり、壁に貼り付く能力、超人的な身体能力を得た高校生。ニューヨークで正体を隠して「スパイダーマン」として人々を助けるようになり、やがてアベンジャーズの戦いにも参加します。
 しかしヒーローとして成長するにつれて、普通の青年としての生活との両立が難しくなります。恋人のMJや親友ネッドを大切にしたい一方で、スパイダーマンであるために彼らを危険に巻き込んでしまいます。その後ピーターがスパイダーマンであることが世界中に知られたことをきっかけにピーターは、世界中の人々から「ピーター・パーカーという人間についての記憶」を消すという非常に大きな犠牲を払うことになります。

 その結果、恋人も友人もピーターを忘れてしまいました。頼りにしていた大切な人たちも亡くなり、ピーターは誰にも正体を知られていない、孤独なスパイダーマンとして一から人生を始めることになります。

 今作では突如ピーターの能力が暴走を始めます。感覚が過敏になり、身体能力や糸の出し方もうまく制御できなくなります。能力のコントロールができなくなってきたピーターはバナー教授に相談します。

 映画の中で、ピーターが自分の能力がコントロールできなくなってバナー教授に相談しているシーンはとても印象的でした。実はバナー教授もハルクというもう一つの姿を持っています。彼は異種のDNAを抑え込む方法を見つけているので、(”You found a way to suppress mutating DNA, right?”)ピーターがバナー教授に相談することは自然な流れです。

 会話はこんな感じです。
Peter: “So could you get rid of the bad aspects but keep the good?”
「(クモ由来の)能力の悪い部分だけ取り除いて、良い部分を残せない?」

 バナー教授はそれに答える代わりにピーターに別の質問を返します。

Banner: “How would you decide what parts of nature are good or bad?”
「自然のどの部分が良くて、どの部分が悪いなんて、どうやって決めるんだい?」

 ピーターはクモ由来の遺伝子の突然変異や能力の暴走を止める方法を聞きています。ピーターにとってコントロールする際のgood とは「Spider-Manとして役に立つ部分、bad とは自分で制御できない部分です。
 それに対してバナー教授は、そもそも「良い」「悪い」の判断の基準は何か?、変異した自分の一部分を勝手に“悪”と決めて消してしまっていいのか? とピーターに問い返しています。
 要するにピーターの問いは科学技術の問い。でもバナー教授はピーターの問いから一歩踏み込んでメタな視点、根本的な倫理的な問いを投げ返しているのです。
 そして物語はここからさらに「異質な部分のどこまでを受け入れ、どこからを排除するのか」と言う問題提起を私にしています。結構本質的な問いだと思いませんか?

 ここで一旦まとめましょう。

 物語の終盤に向かい、ピーターは自分に現れた新しい能力とどう向かい、どう利用していくのか? どう敵と戦っていくのか? それはみなさんが実際映画館で行ってみてください。

 スパイダーマンの物語は、ピーターのゲノムの中にクモのDNAが紛れ込む設定ですが、そもそもそんなことは科学的にありえるのか? 映画を見ていてついそう思ってしまいました。そのきっかけとなったのが、今からお話しする二つ目のテーマです。

 映画に行く数日前、私は第13回京都大学、稲森財団合同京都賞シンポジウム「細胞が運命を変えるとき 医学、生態学、生命科学の研究の最前線」という講演会に行ってきました。

 内容は遺伝子、ゲノムの話でした。みなさんもゲノム、DNA、RNA、メッセンジャーRNA、遺伝子などという言葉を聞いたことがありますね。このシンポジウムに参加した直後にスパイダーマンを観たので、「他の生物のDNAの混入はあり得るのか」と少し科学よりの気持ちで映画を見ていました。

 シンポジウムから得た結論の前に、少し理科2分野の復習をしましょう。ヒトゲノム全体は約32億塩基対からなり、その中には膨大な遺伝情報が含まれています。そのうち、タンパク質をつくる設計図となる領域は全体の約1.5%にすぎません。

 では、残りの大部分には何があるのでしょうか。注目して欲しいのは8%の部分です。レトロウィルス8%という領域がありますね。この約8%には、はるか昔に私たちの祖先が感染したウイルスに由来する配列が占める部分です。つまり、かつて『外から来たもの』、別の生物から入ってきたDNAが、今では私たち自身のゲノムの一部として受け継がれているわけです。

 そこで、先ほどの「スパイダーマンのように人のゲノムにクモ由来のDNAが混入するか?」の答えは自然界では異なる生物間の遺伝物質・情報の移動そのものは存在します。なので「自分の中にある異質なものを、どこまで「自分ではないもの」と言えるか?」は疑問として残るわけです。

 一方人間にクモのDNAが入り込み、クモの能力がそのまま発現するという設定は、現在の生物学ではほぼ完全なフィクションです。

 さてシンポジウムの話を聞いて、自然界では自分の種を絶やさないために「戦略」を持っている、という印象を受けました。

 少し意図的な言葉遣いにしたので、皆さんも気づいたと思いますが、「戦略」、「記憶」、「決定」、「利用」「防御」など主体的判断に基づく、意思決定、作戦実行のプロセスをイメージできないでしょうか? 「記憶する」「決定する」「利用する」「守る」と言った動詞、そこには理解、状況分析、判断、意思決定、コミュニケーションといった極めて人間的な知的な営みを見てとることができないか? 昆虫、植物があたかも人間のように理性を持っているのでは、とさえ思ってしまいます。
 もちろん科学者が、植物やRNAに人間と全く同じような「意思」があると言っているわけではないでしょう。でも私たちは、なぜこうした現象を「記憶する」「選ぶ」「守る」「戦略をとる」という、人間に使う言葉で表現したくなるのでしょうか?別の表現をすれば「自然・生き物は考えるのか?」です。

 では自然界のこの現象をどのように説明できるでしょうか。自然は「考える」のか? その問いに対する次の2つの説明として、どちらが皆さんにとってしっくりいきますか?

(a)進化・多様性を説明する際の「擬人法」

(b)ある方向に導く超越的な知性を想定

 進化の方向性を目的と考えるとき、その仕組みや背後にある「意志」、原理、存在者、と色々解釈が分かれてくることが分かりるでしょう。
 そうなると自然科学か? 宗教か? という二者択一のようですが、実は「知性」というものをどう捉えるかが問題です。
 知性は人間特有のものなのか、何か「目的」に向かって進んでいくことを「知性」と呼ぶのか?
狭い意味で捉えるなら「人間特有」なるでしょうが自然界に共通する合目的的な変化の中にある「知性」というものを見ることができるかもしれません。要は「知性」をどう定義するか? です。

 ちなみに、知性、インテリジェンスというと生成AI、人工知能も、人間のような知的な存在と言えるかもしれません。Artificial Intelligenceと命名しているプログラミングの中に人間的なものを認めると言えるのか?興味深いですね。あえてコンピューターのプログラミングに、artificial 「人工的」と形容詞を付けていることが、無意識に intelligenceが人間が本来持っているものという発想がそこにあるのかもしれませんね。

 テクノロジー、工学の中に倫理的な領域が不可分になります。理系・文系を横断する問いを突きつけられるわけです。サイエンスの領域をとして「人間とは何か?」という哲学的な問いが絡んできます。

 最後に。京大と稲盛財団のシンポジウムは高校生対象となったもので、たくさんの高校生が参加していました。皆さんもこれから何かアカデミックな企画があれば是非参加してみてください。

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